連載時から大きな話題を呼び、第168回直木賞・第13回山田風太郎賞を
W受賞した小川哲さんの『地図と拳』。
「小説すばる」で連載された際、
担当を務めた初代&2代目の編集者に、制作時のエピソードや
文芸編集者の仕事の魅力について聞きました。
ノンフィクション編集部
2012年入社、すばる編集部に配属。2013年に小説すばる編集部に異動、2018年10月号より同誌連載となった『地図と拳』を立ち上げから担当。2021年よりノンフィクション編集部に所属。
小説すばる編集部
2020年入社、小説すばる編集部に配属。2021年より小川哲さんの担当を引きつぎ、『地図と拳』、2023年7月号から『作家とサッカー』を担当。
CHAPTER 01
『地図と拳』誕生までの道のり
『地図と拳』
誕生までの道のり
小川先生と出会ったのは、
いつ頃のことだったのでしょう。
稲葉:
最初に声をおかけしたのは、小川さんが『ユートロニカのこちら側』でデビューされたあとでした。その際は早川書房の担当編集者に小川さんの連絡先をうかがって。その後、2017年に発表された『ゲームの王国』がものすごく面白くて、「これはすぐにでも連載を頼むべきだ!」と思い、発売数日後に小川さんに依頼したのが『地図と拳』連載のきっかけになりました。
田中:
新人の方の場合はデビュー作を出した会社、ある程度キャリアのある方なら最新刊を出した会社に連絡をとって仕事を依頼するのは、文芸だとわりと一般的ですよね。
稲葉:
文芸の世界だと、ひとりの作家さんに各社の担当がついているケースが多く、会社が違っても「一緒にこの作家さんを盛り上げていこう」という意識があるんです。その一方で編集同士のライバル意識はやっぱりあって、お互いに腹の中では「この作家さんの一番いい原稿をウチで取りたい!」と思っているものかもしれないですけどね(笑)。
『地図と拳』の企画はどのようにスタートしたのでしょうか。
稲葉:
小川さんに何を書いてもらうかを考えていたときに、たまたま日本人建築家のドキュメンタリー映画を観ました。その映画にすごく感動して、単純な興味から関連する建築のトピックを調べていたときに、戦前に日本人建築家が当時の満洲に最先端の都市を作ろうとした「大同都邑計画」という幻の都市計画があったことを知ったんです。「これを小川さんが書いたら絶対に面白い!」と思い、連載のテーマとして提案したアイデアが『地図と拳』の企画のタネになりました。
企画を提案するにあたり、意識されたのはどんなことでしたか?
稲葉:
小川さんにお願いする連載のテーマを考えていたとき、自分の中でいくつか条件があったんです。ひとつめは、日本人が主要登場人物として出てくる近代史の話であること。ふたつめは、小川さんの理工系の素養や教養が活きる、科学・工学に関連する題材を含むということ。そして、みっつめが、『ゲームの王国』同様に時間的・空間的な拡がりのある、スケールの大きなテーマであるということ。戦前の満洲という広大な場所で繰り広げられる日本人建築家の物語は、それにばっちりハマる確信がありましたね。小川さんの長所が活き、小川さんにしか書けないテーマを編集者の目線で提案できたように思います。
タイトルの『地図と拳』はどのように決定したんでしょう。
稲葉:
作品のテーマから素直に考えると『建築と戦争』になるんですが、小川さんは「それだと先を書くときに、イマジネーションの膨らみが制限されてしまう」とおっしゃられて。そこで、より抽象度の高い言葉に変えることを思いついて「建築」を「地図」に、「戦争」を「拳」に置き換えたそうです。
先生と一緒に中国への
取材旅行にも行かれたんですよね。
稲葉:
中国に行ったのは2018年の6月ですね。中国東北地方のハルビンから入って、長春(チョウシュン)、瀋陽(シンヨウ)と南下し、最後は大連(ダイレン)に寄って日本に帰国するルートでした。ハルビンの教会、撫順(ブジュン)の炭鉱跡、大連の戦前に作られた工場の廃墟などを回りました。かつて日本人が作った建造物もたくさん残っているんです。
日露戦争後から第二次世界大戦終戦まで、
南満洲鉄道株式会社の経営下となった撫順炭鉱。
ハルビンに現存する東アジア最大の
ロシア正教会・聖ソフィア大聖堂。
大連に残る日本統治時代の工場廃墟。
大連には南満洲鉄道の本社も置かれていた。
具体的にどういった場所を取材されたんですか?
稲葉:
今回持ってきた写真に写っている廃墟は、土地の再利用計画もなく、放置されたまま残っている施設です。ほかに旧日本軍の施設とか戦争の負の遺産として保存されている場所も取材しました。政治的な意味合いもあって保存された施設と、本当に自然のまま放置された場所、両方見られたのは興味深い体験でした。もちろん廃墟は、現地の土地管理者の許可をもらい、安全に配慮して探索しました。
取材時、小川先生がインスピレーションを受けられた様子は?
稲葉:
現地で取材しているときはわからなかったんですが、数年後に原稿を読んだときに「ここはあのとき見た風景を書いている!」みたいな部分があって、「あそこが小川さんの記憶に残った場所だったんだ」と気づきました。そういう場面の素晴らしい描写を読んだときは、中国に行った意味はあったなと感じました。
田中:
取材旅行のお話を聞くと、日本人の視点や感情では想像しきれない、現地にしかないディテールを体感されたことが作中にしっかり反映されていると感じる部分がいくつもありますよね。
稲葉:
ネットであらゆる場所の風景が見られるいまの時代だからこそ、政治や歴史的なテーマを扱う作品は作家さんが自分の目でどれくらい見たか、取材したかが問われますよね。現場を自分の目で見ることで作家さんがある種、歴史的な責任を負う覚悟もできるし、そうした意味でも取材に行く意味は大きいと思います。手配は大変ですが、編集者側も通常の旅行と全くスタンスの違う取材旅行は楽しいし、学べることも多いですよ。
編集部からのゴーサインはすぐに出たんですか?
稲葉:
小川さんは、当時まだ大きな受賞作もなく、連載がパッと決まるような立ち位置ではなかったので海外取材に行くのも本当はけっこう難しかったんです。ただ、そこは「これを小川さんが書いたら絶対売れます! 直木賞獲れますんで!」と上司にハッタリをかまして(笑)。
田中:
書く前から、そこまで言っていたんですか!(笑)
稲葉:
『ゲームの王国』が山本周五郎賞の候補に挙がっていたタイミングでしたし、自分自身に小川さんの作品を「小説すばる」に載せたいという思いがすごく強かったので、それが伝わったのかと。集英社の編集長って、現場の編集者が熱意を持って「絶対やるべきです、取材に行かせてください!」と言えば、背中を押してくれる人がほとんどではないでしょうか。
CHAPTER 02
作家に寄り添い、ともに作品を
つくり上げていく文芸編集者の仕事
作家に寄り添い、ともに
作品をつくり上げていく
文芸編集者の仕事
連載時の打合せはどう進めていたんでしょう。
稲葉:
小川さんの場合、最初の頃は集英社の会議室で原稿を書いてもらっていました。できた原稿をデスクで読ませてもらい、その後は会社の近所の定食屋で夕ご飯を食べながら内容の相談していました。連載が軌道に乗った中盤以降は、小川さんのご自宅近くのファミレスで打合せをするようになりました。
田中:
私も基本的にそのやり方を引き継いでいます。
稲葉:
マンガだとネームと呼ばれる下描き的なものを一緒に見ながら、作家さんと編集者が数時間かけて綿密に相談して中身を調整していきます。でも、テキストだけの小説ではそれが難しい。どこかを直すにしてもその段落だけでなく前後にも大きく手を入れる必要が出てきたりして、パッと読んで指示してその場で修正、とはなかなかいかない。
田中:
漫画はセッション的なやりとりで作家さんと編集者が作品をつくっているけれど、小説は編集者が読んで感想をお伝えして、それを受けた作家さんがどう直してくるかを待つターンがある感じです。そのぶん、毎回オンタイムで顔を突き合わせないといけないわけじゃないのが、文芸の編集だと思います。
巻末には膨大な量の参考文献も挙がっていますが、資料集めも大変だったのでは?
稲葉:
参考文献リストには130冊くらい載っていますね。でも小川さんは掲載している文献の5倍ぐらいの量の資料に目を通しているかと思います。実際の歴史を題材としている作品なので、読むべき資料は特別多かったですね。私も4、50冊くらいは読みました。
資料の収集や、歴史考証について、どなたかにご協力いただいたんでしょうか。
稲葉:
歴史考証は、中国近現代史を専門に研究されている帝京大学の澁谷由里先生にお願いしました。連載が始まる前は、小川さんと一緒に澁谷先生の研究室にうかがって様々な資料を教えていただいて、連載時にも毎月、専門家の知見から内容を確認していただきました。
田中:
連載作品の監修はチェック期間がとてもタイトですが、澁谷先生には本当に細かい部分までしっかり見ていただいて大変助かりました。資料だけでは把握しきれない当時の都市や建築技術のこと、登場人物の言葉づかいなどもご指摘もいただいて。
稲葉:
「この時代の、この人の階級だと<精神>という言葉を使わないだろうから、<霊魂(リンフン)>に変えたほうがいいですよ」とか――。小説のリアリティって言葉の使い方ひとつで変わるものなので、本当にありがたかったです。澁谷先生ご自身も楽しんでくださったようで、ベストな歴史考証のやり方ができたのかなと思っています。
連載の担当をするなかで、困ったことはありましたか?
稲葉:
一番はやっぱり、途中で1年間休載されたときでしょうか……。あの時期、小川さんは物語をどう進めていけばいいか悩まれていたんですが、自分もうまくハンドリングができなくて。そこからよく立て直せたなと思っています。
休載期間中は、先生にどうコンタクトを取り続けていたんでしょう。
稲葉:
たまに一緒に遊んだりもしながら、いまどういう状況で、何を考えていて、どういうことで困っているとか、こういう資料は足りていますか? とこまめに連絡し続けました。正直、不安はありましたね。
田中:
小川さんは休載している1年間で、いままで書いていた連載原稿を全部書き直しているんですよね。それで書き直した分を前提に連載を再開しているんです。そうしたご自身の努力もあったからこそ、立て直しができたのでしょうね。
稲葉:
そう、休載中にも小川さんは進化していたんです。再開後はさらにうまく書けるようになり、以降は全くトラブルなく一気にいけました。
田中:
それまでの小川さんの著作は書き下ろしでしたので、これだけの長大な連載というのはハードな挑戦だったのだと思います。1年の休載期間で、連載作品の書き方みたいなものが小川さんの中でうまく調整できたのかもしれませんね。
2018年10月号より連載開始し、
途中休載をはさみ4年の歳月をかけて
2021年11月号で最終回を迎えた。
そうして完結した物語が単行本にまとまったんですね。
田中:
『地図と拳』は単行本化のときもいろいろ苦労がありました。今回の本は640ページとめちゃくちゃ分厚いんですが、連載分をそのまま本にするとしたら、もっとページ数が必要なんです。上下巻にする方法もありましたが、セールスのことを考えた結果、連載分に大幅に手を入れて文章量をシェイプアップしています。
具体的にはどのような作業だったんでしょう。
田中:
原稿を見直して、小川さんに相談しながらこの部分はまるまる削っても物語の整合性は取れそうだとか、連載終了時から検討していました。正直なところ、登場人物やシーンを大きく削るのは作家さんに対して失礼なことだという思いはあるんですが、ちゃんと本を売るためにはやらなきゃいけないことだったので。小川さんと私と、単行本の担当とで打合せをしながら慎重にやっていきました。
現在、田中さんは小川先生と「小説すばる」で新連載を手掛けています。
田中:
『作家とサッカー』というエッセイが7月号から始まりました。小川さんはイングランドのプレミアリーグの強豪チームであるアーセナルの大ファンなんですが、「サッカーは絶対に小説で書けない」という持論をおもちなんです。そこで私が「実際に見に行けば、書けるようになりますよ!」と、今年の春にイギリスに試合の取材にいったんです。小川さんもサッカーについて書きたいことはたくさんあるので、小説ではなくエッセイとして観戦記兼、小川さんがサッカーとどんな人生を歩んできたかを書いていただいています。
エミレーツスタジアムにて偶然遭遇した、アーセナルファン向けの人気動画チャンネルの撮影クルーに取材される小川先生。
新連載『作家とサッカー』は小川作品のファンだけでなく、アーセナルファン、プレミアリーグファンも必読!
取材中の写真には、
建築物もありますね。
田中:
取材の目的のひとつはサッカーを観に行くことでしたが、他の企画のご相談もしていて、その参考になればと各地を巡ったんです。『地図と拳』という素晴らしい作品があり、また小川さんご自身も建築に興味を持っておられるので、建築が題材の作品をまた考えてみませんか? というお話もして、新旧いろんな建物を回りました。今回の取材が小川さんにとっていい刺激になり、また素晴らしい作品が生まれることを期待しています。
サッカー観戦取材の合間に、ウインザー城やテンプル・チャーチ
(写真)なども訪問。
最後に、文芸の編集者の役割で大切なのはどのような部分だと思いますか?
稲葉:
『地図と拳』では私が企画を立ち上げた責任があったので、小川さんと一緒に資料を読み、相談しながらつくっていきました。でも、そのやり方は必ずしも文芸の編集者に求められることではなく、大事なのは「作家の書いたものを最初に読む読者として、何を感じたか」をきちんと伝えることだと思います。
田中:
私が小川さんに求められたのは、原稿を読んで「何がわからなかったか」をきちんと伝えることだったと思います。担当編集が読んでわからない部分は、きっと読者もわからない。「これってどういうこと?」と感じた部分があったら、知ったかぶりをせずに素直に言うのが編集者の仕事で。とくに『地図と拳』のような作品では、その姿勢がすごく大事です。
稲葉:
じつは最初に今回のテーマをオーダーしたとき、ひとりの日本人建築家を主役にその人物の一生を描くような物語を自分は想像していました。でも、実際に小川さんから出てきたのは全然違うもので。それこそ万華鏡のように、いろいろな人物の視点から当時の満洲や日本を照らし出していく多面的な構造の物語で、絶対に小川さんにしか書けないものでした。自分がお願いした題材から、想像を遥かに超えた面白いものが出てくる。そうした才能に出会えることが編集者という仕事の醍醐味だと思います。